ねえ、と問い掛ける言葉を持たない代わりに、静かに立ち去る足音さえも。何一つ手元に残らない、アレルヤとのやりとりが、嫌いだ。だから、擦れ違おうとするからだを強く引き寄せて抱きしめて、乱暴にくちづける。
見開かれた瞳を、触れ合うほどの至近距離で見つめてやると僅かな戸惑いがひと時だけきらめいて。そのままきつく閉ざされてしまうと、その場所に触れられないもどかしさばかり募って、性急に求める舌先は、誘うよりもよほど拐す艶やかさでアレルヤの全てを翻弄する。構わず、己の望むままに蹂躙する彼の腕を指の腹で引っ掻く、アレルヤの抗議は受け入れられることなく、簡単にノーマルスーツをくつろげられる。インナーシャツを剥がそうとする手を辛うじて制止すれば、鈍い痛みを与えられた。そして漸く離れていく唇の間を、血液の混じった唾液が繋ぎとめるように。
「刹那」
「きらいだ」
何を、とは言わない。おまえが、というのは本当はただの八つ当たりだし、思い通りにならないことなどこの世界には溢れかえっていて数えるのも面倒なほどだというのに。
眼に鋭い光を滑らせて、手を伸ばす。耳の端から顔の輪郭を辿り、顎の先から指先を下ろして喉もとに突きつけるのは、刃ではなくてもっと決定的な苦痛、でも有り得るというのに。強いて例えるなら、恐怖と言い換えるための鍵を刹那はその胸の内に秘めている。けれど、僅かに見下ろす彼の瞳はなおも穏やかさを湛えて、ほんの少し年下の少年を眺めている。さらには、ゆっくりと、血に濡れたままの唇が動く。
「大丈夫、刹那。殺されてなんかあげないよ」
ごめんね、と悲しそうに微笑み、告げる言葉が本気であればあるほど刹那がアレルヤへと向ける感情はずっと増していくのに、そのことすら分からないアレルヤは、自分を見上げる刹那の視線を受け止められないと言う。
そのうえ君を殺すこともしないと宣言する、清らかな声色はやはりどこか遠い場所へと溶けて消えてしまう。境界線は、すぐそこにあるのに越えられないのは全てこの偽善者の所為だ。ひとりきりでずっと、離れた場所にいるつもりになって、アレルヤが仲間だとひとくくりにしているのは都合のよい言葉だけのことで、本当は誰とも深く関わっていないし、抑も彼は関わろうともしないのだ。気付いていないのはアレルヤのほうで、刹那はいつだって引き摺り込むつもりで彼にくちづける。奪われてしまえ、そして死ぬほど後悔すればいい。そうしたら、きっと殺してやる。ぐっと、喉もとに突きつけた指先に力を込めると、とうとう白い左手は明確な意図を持って刹那のてのひらを包み引き剥がした。伏せた瞼はひくりともせず、やはりごめん、と言う心地良い声だけが刹那の聴覚を掠めていくのだから。そうして、悲しみを増す闇色の瞳を見るたびに、刹那の心は傾ぐ。彼が救いを求める言葉に縋る度に、狂気を孕む感情がてのひらから零れ落ちる。握り締めた憎悪が掻き消えていくことが恐ろしくなる。
(或いは、だからこそこの美しい手にかかることすら望むほどに)
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