この場所では、優しさなど幾許も価値のないものである、と。
断じる強さは自分にはないのだけれど、クロスを切ることができるほどにこの手はもう清らかではない。
心中のみで讃える神はイメージの世界でさえ実像を結ぶことなく、寧ろ汚されていく白い砂浜には、数え切れないほどの屍が打ち上げられている―――、それらは勿論すべて幻視にすら満たない錯覚なのだと知っているのだけれど。
ひとりきりで、この狭い箱の中にいれば頼るものなど何も無いのだと思い知らされる。ふと、見渡すそらは青い色よりも余程深い色彩、何もかも飲み込む闇色なのだから、自分さえもそう在るべきなのかと直感的に理解してしまいそう、だなんて。
主とは誰だ。我を司る真の光はどこにある。地球から見上げ続けた遠い空には、誰かが伸ばした指先たる争いの火種があるだけだ。希望と共に悲しみを生む、或いはそれ故にこそ彼らはその場所で試されているのだろうか、と。
硬質な音を響かせてコクピットから降り立ったアレルヤは、すぐ傍らに立つ者がいることに気が付いた。手を伸ばせば触れられる距離、けれどそうしようとさえ思わなければただ彼は傍らにいるだけの人物だ。言葉にし難い感情を持て余す、借り物の力を一度手放してしまえば寄る辺ない孤独な一人の人間でしかない。つまり―――どちらにせよ、感慨は孤独というただ一語で纏められてしまうのだということに、急に思い至って。
ああ我が主よ、本当の自分には一歩を踏み出す力さえ。或いはその意味さえはかりかね、何に躊躇いを覚えるのかすら明確には分からないのだ。
誰かが抱えている想いを、自分と同じ悲しみだと思い込む傲慢さを、アレルヤには持つことができない。たとえ、そこにいるのが誰であろうとそれは同じことだ。戦場から帰還した直後の共感すらもそれは状況がそうであるということに過ぎない。その思考だけは迷いではなく、
「お前は愚かだ」
アレルヤの思考を遮るように、ひそやかな賛辞を届けた声は、するりと目の前を通り過ぎて、零れ落ちた響きすらそのてのひらには残らない。その言葉には鮮やかさと言うほどの閃きはなく、何一つ傷つけることなく失せていく。まるで鈍い光彩を操る魔法のように、なんて独り言は相応しくない、のだろうか。
「ティエリア?」
「お前は殺してきたんだろう、お前が死んだのではなく。アレルヤ」
そうか、とアレルヤは一つ瞬いた。脳裏に鮮明なイメージが浮かび、そして崩れていく。いつでも、暗い色の砂浜で、横たわる死体の顔は自分にそっくりだったのに。日の落ちた海辺では今まで見えなかった―――のではなくて、見ようとしなかったのかも知れないけれど。少なくとも、その映像は具現化することなく虚像のまま消え失せてしまったから本当のところはどうなのか分からずじまいだ。
鋭く眼球の上を滑った光に射抜かれて、アレルヤはゆっくりと微笑んだ。
優しさが切り裂く傷跡は、きっと何よりも深くそれは償いすらも受け入れられない、後は緩やかに死んでいくだけなのだ。即ち、差し伸べられる赦しよりも指先はよほど暗い深淵へと導かれていくほうが相応しい。
そうして、快さと鋭い痛みが同時に居する心中を切り裂く、赤の瞳に宿るものはきっと同じ覚悟なのだから。
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